「コトタマ学とは」第二百二十号 平成十八年十月号

   第六章 皇室と言霊 三種の神器

   鏡

 三種の神器の第三番目は「八咫鏡(やたのかがみ)」であります。鏡というのは姿や顔を映して見る道具です。精神的な内容として考えますと、心の善悪・正邪・美醜や物事の正誤・当否等々をたちどころに判定する基準になるものを意味しています。八咫鏡の咫はアタといって、太古の尺度の名前です。アタとは人間の人差し指と中指を開いた広さだそうです(図参照)。この咫を八つ集めた大きさの八辺形の鏡という意味です。

 三種の神器の第一である剣には、精神的にいうと二つの働き(双刃)があることをお話しました。その一つは分析(太刀=たち)であり、もう一つは総合(連気=つるぎ)であります。人間の心をとことん断ち切って分析していき、もうこれ以上切ることが出来ない所まできた時、究極の要素として五十個の言霊を手にしました。一つ一つの要素の内容とその名前をはっきりと把握することが出来ました。そのそれぞれを表わしたのが、三種の神器の第二の曲玉でありました。

 次に分析して得た五十個の言霊を剣(連気)の力で総合していくことになります。この総合の過程の操作にもちょうど五十の手段があって、ついに人間精神として理想の組織を持った構造図が完成することになります。この五十音の言霊で組織された人間精神の実践智の構造を昔の人は「天津太祝詞(音図)」と呼びました(図a参照)。

 さらにこの構造を創造意志の働きである八つの父韻を中心に並べ替えて八角形の構造に収めたもの(その過程は煩雑を避けて省略します)、それが八咫鏡と呼ばれるものです(図b参照)。

 人間の心を隅から隅まで分析して、その要素の性質内容をすべて明らかにした上で、その五十個の要素を理想の構造に組み立てた人間の行動の基準なのですから、この鏡に照らし合わせれば、人間がやること、これからやろうとしていることが適当かどうか、すぐに分かってしまいます。これは当然のことといえましょう。


 以上、日本皇室の宝物とされています三種の神器―剣・曲玉・鏡―についてお話しました。それは天与の判断力、心の要素の全部、人間の心の鏡の構造という人間にとって最も大切なものを器物として表徴しているものであります。単にそれは皇室の宝というだけでなく、人間が人間としての種を続ける限り、人間精神の宝であることをお分かりいただけたのではないでしょうか。  三種の神器が人間の心の基本法則を暗示していることを知って、その眼で世界の宗教書をみますと、キリスト教の聖書や仏教のお経の中に同様の三種の宝のことが書いてあるのに気付きます。そのことに簡単に触れておきましょう。

 例えば旧約聖書の中にユダヤの「三種の神宝」としてアロンの杖・黄金のマナ壷・モーゼの十戒石があったと伝えられています。この三種の神宝を木の箱に入れ、箱に棒をつけて人が担ぎ、民族の先頭に立ってヨルダン川を渡ったという故事が書かれています(このことが日本に伝わり、神社のお神輿を担ぐことの先例となったのだという話もあります)。三種の神器と神宝とを比べてみますと、草薙の剣がアロンの杖に、曲玉が黄金のマナ壷に、鏡がモーゼの十戒石に相当することになります。

 仏教では観普賢菩薩行法経というお経の中に「象の頭の上に三化人あり、一は金輪(こんりん)を把(と)り、一は摩尼珠(まにしゅ)を持ち、一は金剛杵(こんごうしゅ)を把れり」と書かれています。金輪が鏡に、摩尼珠が曲玉に、金剛杵が剣に当たりましょう。その他仏説に閻魔大王の浄瑠璃(じょうはり)の鏡が説かれています。この鏡は亡者の生前の善悪の業が立ちどころに映し出されるといわれます。これで三種の神器の精神的な意味についての説明を終えようと思いますが、実際の三種の神器は第十代崇神天皇の時、宮中より移され、諸処を廻り、最終的に現在の伊勢の皇太神宮に祭られました。その経過は「日本書紀」に詳しく書かれています。その後、神器のうちの草薙剣は第十二代景行天皇の時、日本武尊の東征に関係して現在の名古屋の熱田神宮に祭られ、今日に到っています。宮中にある三種の神器はイミテーションということになります。

 なお、神器をお祭りしてあります伊勢神宮の数々の神秘については、項を改めてお伝えすることといたします。

(次号に続く)

   布斗麻邇(ふとまに・言霊学)講座 その六

 前講座までで、人間精神の先天構造を構成する四つの母音、三つの半母音、八つの父韻の説明を終えました。そこで残る二つの母音と半母音、イとヰの解説を始めることといたします。

 伊耶那岐(いざなぎ)の命・言霊イ、次に妹伊耶那美(いも・いざなぎ)の命・言霊ヰ。
 古事記は精神の先天構造を説明するに当り、先ず意識の初めとなる天の御中主の神・言霊ウから始まり、それが主体と客体である高御産巣日の神・言霊アと神産巣日の神・言霊ワに剖判しました。剖判活動は更に続き、高御産巣日の神・言霊アは天の常立神・言霊オ、更に国の常立神・言霊エと剖判し、客体である神産巣日の神・言霊ワは宇麻志阿斯訶備比古遅の神・言霊ヲ、更に豊雲野の神・言霊ヱと剖判します。更に主体と客体とを結んで現象を発生させる八つの父韻が現われます。ここまでを図で示すと次の如くになります。

 さて此処で考えてみましょう。言霊ウアオエと言霊ワヲヱは母音宇宙、半母音宇宙として厳然と実在するものでありますが、その宇宙の方から仕掛けて現象を現わすことはありません。このことは以前お話しました。とするならば、ウの宇宙からアとワの宇宙に剖判したり、父韻が主体と客体を結び付けて現象を起こすという活動の力は何処から出て来るのでしょうか。そこに先天構造の最後として現われるのが伊耶那岐(いざなぎ)・伊耶那美(いざなみ)の二神(ふたはしら)、言霊イ・ヰであります。先天構造十七神の十五神が出揃い、最後に「伊耶」として登場する神、それは言葉の如く「いざ」と創造する神であります。即ち母音・半母音宇宙を剖判させ、また主体と客体の宇宙を結んで現象を生ぜさせる八父韻の働き、そのすべての力はこの伊耶那岐、伊耶那美の言霊イ・ヰが原動力なのであります。

 昔、「去来」と書いて「いざ」と読みました。また「こころ」ともいいました。伊耶那岐とは「心の名の気」であり、伊耶那美とは「心の名の身」のことです。そして心の名とは言霊そのもののことであります。この故で伊耶那岐・伊耶那美の二神、言霊イ・ヰは万物創造の原動力であり、宗教的には最高主神と呼ばれます。このことによって言霊イ・ヰは母音・半母音であると同時に特に万物の生みの親として親音とも呼ばれているのであります。

 以上のことを踏まえて人間精神の先天構造図を完成させますと図の様になります。人間は一人の例外もなく図に示されます十七個の言霊の活動によって人間生活の一切の現象を生み出し、創造して行きます。

 言霊イ・ヰだけが他の母音ウアオエと半母音ワオヱと異なり、親音と呼ばれることをお話しました。言霊イ・ヰは他の母音・半母音とどのように違うのでしょうか。この事を考える事によって、読者の皆様が多分、夢にも思わなかった真実に気付かれることでしょう。その事を含めて言霊イ・ヰ親音の働きについてお話を進めて行きましょう。

 言霊イ・ヰが現われたことで、母音アオウエイ、半母音ワヲウヱヰのすべてが出揃いました。母音と半母音が結ばれて子音である現象が生まれます。ウ・ウの母音・半母音宇宙からは五官感覚に基づく欲望現象が出て来ます。言霊オ・ヲが結ばれると経験知現象が生まれます。ア・ワの結合からは感情現象が生まれます。エ・ヱが結ばれて実践智現象が生じます。では言霊イとヰが結ばれると何が生まれるのでしょうか。イ・ヰの次元に於いては目に映る現実の現象は何も生まれません。現実的には何も現われることはありませんが、実はイとヰが結ばれると、チイキミシリヒニの八つの父韻が活動を起こし、それがウオアエの四次元のそれぞれの母音・半母音を結び付け、欲望現象、経験知現象、感情現象、実践智現象を起こすこととなります。言い換えますと、イ・ヰ次元の活動はそれだけでは後天的な現象は起こりませんが、そのイ・ヰの働きである八つの父韻がイ・ヰ以外の四段階の母音・半母音を結んで、それ等四段階の現象を起こすのです。そこでイ・ヰの言霊を創造意志と呼ぶのであります。この創造意志の性能は飽くまで先天構造内の活動であって目に映ることがなく、“縁の下の力持ち”となって他のウオアエ(ウヲワヱ)次元の現象を生み、この四次元を統轄しているのであります。言霊イ・ヰは他の四次元の母音宇宙より起こる現象を創造します。そのことから申しますと、次のように言うことが出来ましょう。ウの宇宙から起こる欲望現象も、実はイ・ヰの創造意志性能が働くからであり、オの経験知現象も創造意志が縁の下の力持ちとして働くからであり、アの感情現象もイの生きようという創造意志あるが為であり、エの実践智が働くのも、イの創造意志活動のお蔭である、ということが出来ます。

 言霊五十音図の中から十七の先天言霊だけを書いた図を想像してみて下さい。言霊イ・ヰの親音は縦にアオウエイ、ワヲウエヰの母音、半母音をそれぞれ統轄しています。また横に自らの働きである八つの父韻を以ってアオウエ、ワヲウヱのそれぞれの段を結び、アオウエ四つの段階のそれぞれの特有の現象を創生します。(創生した三十二の子音が森羅万象構成の単位となります)親音イ・ヰはこのように人間精神の全活動の原動力となる創造意志の本体でありますが、それ以外にもう一つ重要な役目を果たしているのです。普段人々が全く意を留めていない創造意志の性能について今より触れることといたします。

 それは何か。自ら創生したものに名を付けるということです。どんなものを創造しても、それに名が付かなければ、ただ「あー、あー」と言うだけで、それがないのと同様です。そのものに適当な名前がついて初めてそのものは世の中の時処位が定まります。世の中から認知されます。大きく言えば人類文明の一つとして認められたことになります。この重要な役割を言霊イ・ヰが担っていることに気付く人はそれ程多くはないでしょう。この重要な役割を一手に引き受けているのが言霊イ・ヰの親音なのであります。親音イ・ヰの働きを箇条書きにまとめてみましょう。

 一、親音イ・ヰは人間精神の天之御柱(アオウエイ)、国之御柱(ワヲウヱヰ)を音図の縦に統轄し、

 二、言霊イ・ヰは親音として自らの働きであるチイキミシリヒニの八父韻を音図の横に展開してアワ、オヲ、ウウ、エヱの四段階の母音・半母音を結合させ、合計三十二の現象子音を創生し、森羅万象一切を生み出します。

 三、創生した一切のものに、自らの所有である言霊五十音を駆使して、そのものに最も適した名前をつけ、社会に於ける時処位を定めます。

 以上、宗教において最高主神と崇められ、言霊学においても一切の言霊活動の原動力である言霊イ・ヰの性能についてお話いたしました。精神の先天構造を構成する十七の言霊の最後の伊耶那岐・伊耶那美の二神、言霊イ・ヰが出揃いますと、「いざ」と創造意志が働き、先天構造が活動を開始します。それによって言霊イ・ヰの実際の働き手である八つの父韻が四組の母音・半母音に働きかけ、主体と客体を結んで8×4=32で、合計三十二個の後天現象の単位・要素を生みます。現象子音の創生です。言霊学でこの現象を「子生み」と申します。

 先天構造の話が終りますと、次に「子生み」の話に移ることとなりますが、先天構造は言霊学すべてに対して「始め」の役割を担っています。先天構造の内容とその働きがよく分かりませんと、後天構造の内容を理解する事が難しくなることが多々起こって参ります。そこで「子生み」の話に入る前に先天構造の理解を深めるために、もう一度復習をしておくことにしましょう。宇宙剖判の順序に従って十七先天言霊を並べますと、上の図となります。このような先天構造の配列を天津磐境(あまついはさか)と呼びます。天津は先天の意。磐境(いはさか)は五葉坂(いはさか)の意です。図をご覧下さい。先天図は五段階の言葉の層になっています。これを五葉坂(いはさか)と書き、磐境(いはさか)とまとめました。全体で天津磐境(あまついはさか)です。

 次に先天構造の母音、半母音、八父韻をそれぞれを主体、客体、底辺とした五十音図の枠を作ります(図参照)。向って右の縦の母音の並びを天之御柱(あめのみはしら)と呼びます。アオウエイの縦の並びは主体を表わします。向かって左の縦の半母音の並びを国之御柱(くにのみはしら)と呼びます。客体を表わします。次に天之御柱と国之御柱とを結ぶ横線のチイキミシリヒニの八父韻を天之浮橋と呼びます。

 アオウエイの五母音が縦にスックと立った姿、五重、これが人間の心の住み家です。家(五重)の語源となります。五母音がかく並んだ人間の自覚態を、五尺の柱として伊勢神宮には本殿床上中央の床下に祀られています。心柱、忌柱(いみはしら)、天之御量柱(あめのみはかりばしら)などと呼ばれます。神道ではこれを「一心之霊台、諸神変通之本基」と呼んで尊んでいます。「一切の現象はこれより発し、終わればまたここに収まる」と謂われます。

 言霊学における五つの母音を外国では如何に呼んでいるか、五母音との対照図は「古事記と言霊」に載せてありますが、念のため此処でも図にして載せることとしました。







   島生み

 ここに天つ神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐(いざなぎ)の命伊耶那美(いざなみ)の命の二柱の神に詔(の)りたまひて、「この漂へる国を修理(をさ)め固め成せ」と、天(あめ)の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依(ことよ)さしたまひき。かれ二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛(ぬぼこ)を指(さ)し下(おろ)して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴(な)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのごろしま)なり。その島に天降(あまも)りまして、天(あめ)の御柱(みはしら)を見立て八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。

 人間精神の先天構造を構成する母音、半母音、父韻が出揃い、更に一切の原動力である言霊イ・ヰの創造意志が「いざ」と発動しましたので、いよいよ後天現象である言霊子音が生まれることとなります。いわゆる「子生み」の始まりとなるわけですが、古事記では直ちに後天現象子音を生むのではなく、生むための心の中の下準備ともいわれる事が進行するのであります。それが前に掲げました古事記の文章です。一度読んだ位では難解で何のことだか分からないかも知れません。一節ずつ解説していきましょう。

 「ここに天つ神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐(いざなぎ)の命伊耶那美(いざなみ)の命の二柱の神に詔(の)りたまひて、」
 ここに先天構造を構成するすべての神々が出揃ったので、それ等の神々の命令を受けて伊耶那岐・伊耶那美の二神がいざと立ち上がり、と解釈できましょう。

 「この漂へる国を修理(をさ)め固め成せ」と、」
 先天構造世界の内容はすべて整った。けれど後天現象世界についてはまだ何も手をつけていない。その混沌とした後天の世界に創造の手を加えて、種々のものを創造し、うまくいったか、どうかを調べ、創造したものに適当な名前を付け、整備しなさい、との意味です。この場合、漂へる国の国とは国家のことではなく、創造して行く一つ一つの物や事のことを指します。混沌とした世界を一つ一つ区切って、言葉の言うように似せること、創造したものの内容・その存在がよく分かるように適当な名前を付け、他のものとはっきり区別出来るようにすることを言います。

 「天(あめ)の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依(ことよ)さしたまひき。」
 天(あめ)の沼矛(ぬぼこ)とは先天の働きのある矛(ほこ)の意。矛とは剣(つるぎ)の柄(つか)の所を長くした武器のこと。古事記の神話が言霊学の教科書であることを念頭におくと、天の沼矛とは言葉を発する時の舌のことと考えられます。この舌を操作して言葉を創造し、その言葉によって後天の現象世界を整備、発展させなさいと命令し、委任した、ということです。

 「かれ二柱の神、天の浮橋に立たして、」
 そこで伊耶那岐・美の二人の神は、岐の神は主体である天之御柱、美の神は客体である国之御柱の上に立って、双方を結んで懸け渡した天の浮橋の両端にいて向かい合い、主体と客体とを八つの父韻チイキミシリヒニで結ぶこととなります。 

 「その沼矛(ぬぼこ)を指(さ)し下(おろ)して画きたまひ、」
 その天の沼矛を下におろして、チイキミシリヒニと舌を使って攪き廻して発音する、の意。画(か)きは攪(か)きの謎。沼矛(ぬぼこ)の沼は貫(ぬき)の意で横(よこ)。

 「塩こをろこをろに画き鳴(な)して、引き上げたまひし時に、」
 塩(しほ)とは四穂(しほ)で四つの母音アオウエのこと。四つの母音をチイキミシリヒニの八父韻で攪き廻して、引き上げた時、の意。

 「その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのごろしま)なり。」
 攪き廻した矛の先からしたたり落ちる塩が積もって出来た島は、己(おの)れの心の島である、の意。攪き廻して引き上げた矛の先には四つの母音アオウエにはチイキミシリヒニの八つの父韻が附着して、チ+ア=タ、キ+オ=コ、……と三十二個の子音が附いて来ます。人の心の現象は三十の子音で表されますから、己(おの)れの心の島であります。島(しま)とは「締(し)めてまとめる」の意。心である海の部分々々をめてとめたものは一音一音の現象子音ということが出来ます。これが自分というものの内容であり、表現であるということであります。

 現代の社会では、存在する物や事を識別・区分する判断の土台として学問的な概念を使います。同一の現象についても判断の概念に相違があると、観察の結果に異論が生まれます。論争が起こります。その点、古代日本語の如く、物事を区別し、表現するのに、そのものズバリの実相である言霊を用いますので、言葉即実相で異論の起こりようがありません。古代日本語の他に類を見ない能力にご注目下さい。この「惟神言挙(かむながらことあ)げせぬ」と言われる世界で唯一つの実相の言葉を地球上に初めて創り出した時の喜びを日本書紀は「二神天霧(さぎり)の中に立たして曰はく吾れ国を得んとのたまひて、乃ち天瓊矛(あめのぬぼこ)を以て指し垂して探りしかば馭盧島(おのごろしま)を得たまひき。則(すなは)ち矛を抜きあげて喜びて曰はく、善きかな国のありけること」と記しています。人類が初めて言葉で自分の見・聞き・触れた事を実相そのままに表現することが出来た喜びということでありましょう。

 「その島に天降(あまも)りまして、天(あめ)の御柱(みはしら)を見立て八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。」
 伊耶那岐・伊耶那美の二神が先天構造である天の浮橋の両端に立って、チイキミシリヒニの八父韻を以ってアオウエ四母音を攪き廻し、三十二の現象の最小の単位である子音を生みます。心の現象世界をそれぞれ分担する自分の心の島を見ることが出来ましたので、その島に下り立って見ますと、その島々を生んだ母音の柱が島々の上にスックと立っているのが分かりました。御柱は二つあり、主体を表わす母音の柱を天之御柱といい、客体を表わす半母音の柱を国之御柱といいます。

 この二本の御柱の立ち方に二様があります。天之御柱と国之御柱が一体となり、現象界の中心に立つのを絶対といい、二本の御柱が別々に現象界の左右に立つのを相対と呼びます。A図は神道で「一心の霊台、諸神変通の本基」と呼びます。伊勢神宮の本殿の床下に建つ「御量柱(みはかりばしら)」です。

 八尋殿とは八つを尋ねる殿(図形)の意です。八尋殿の図形は四方にいくら延長させても同一原理を保ちますので彌広殿とも書きます(D図)。哲学ではB図を框(かまち)と呼び、キリスト教ではC図を「アダムの肋骨(あばらぼね)」と呼び、またキリストが生み落とされた「馬槽(うまふね)」といいます。

(以下次号)